前回からの続きです。

 対人援助職に従事する方も「自分を大切にすること」が重要で、そのうえで相手との物理的、心理的距離を適切にとることが望まれます。

 そして、当オフィスで実施している瞑想箱庭療法では、それを意識せずに体感することができます。

 なぜそのようなことができるのか。

 今回は、少し専門的な内容です。

 瞑想箱庭療法は、お互いに瞑想すること、そして、その後クライエントは箱庭を作り、セラピストは瞑想を続けるというそれぞれの活動に没頭することを通して、

“対自的関係性”

というものを重視しています。

 わかりやすくするために、その対極のものとして“対他的関係性”から説明します。

 “対他的関係性”とは、「あなたがいることで私がいる」関係性です。

 具体的には、「医者と患者」、「教師と生徒」、「セラピストとクライエント」などです。

 対人援助職は、職業としてこういう関係性で成り立っています。

(それ以外にも「親と子」なども“対他的関係性”だったりします)

 では、瞑想箱庭療法が重視している“対自的関係性”とはどのようなものか。

 “対自的関係性”とは、「それぞれが“個”となることでつながる」関係性です。

 そこには、「あなたが〇〇だから私は□□である」というものは存在しません。

 対人援助職に従事する方は、「私があなたのためにできることをしたい」と考える方が多いです。

 つまり、“対他的”な関係性によって援助していくということです。

 もちろんそれも大切な考えです。

 しかし、その思いが強すぎると、時にそれは援助にならないことがあります。

 たとえば、医者と患者の場合。

 医者が医者であればあるほど、患者は患者で居続けます。

 つまり、患者は「治りたい」はずなのにずっと「治される人」になってしまいます。

 また、医者は「治したい」はずなのに、「治す人」になってしまい、場合によっては「患者が自分の力で治っていくことを阻害する人」になってしまう可能性があります。

(だからビジネスとして成り立っていたりもしますが)

 それは、本来の「援助」ではないなと思っています。

 医者と患者であっても「あなたはあなた」「私は私」という“対自的”な関係性を大切にできたとき、職業としての「医者」ではなく、その方が持つ本来の「医」が発揮され、患者もその方が持つ「治癒力」が発揮されるようになります。

 教師と生徒も同じです。

 教師が教師であればあるほど、生徒は生徒で居続けます。

 「教える人」と「教えてもらう人」という“対他的”な関係性です。

 この関係性だけでは本来の学びには繋がりません。

 “対自的”な関係性を大切にできると「教師だから教える」のではなく「私だから教える」、「生徒だから教わる」のではなく「私だから教わる」となります。

 そこに主体性が生まれ、本来の学びが生じます。

 “対他的関係性”と“対自的関係性”のどちらが良いとか悪いとかではありません。

 バランスが大切です。

 ですが、“対他的関係性”の方が悩みに繋がりやすいです。

 なぜなら、「本来、自分にはできないことをやろうとしてしまう」ことが多いからです。

 気づいているのであればまだマシですが、気づかずに陥っていて、それが悩みに繋がっている対人援助職も少なからずいるのではないかと感じています。

 当オフィスの「整心」は、困りを感じている方だけでなく、対人援助の専門家の方々にもぜひ体験していただきたいと思っています。

 通常の心理療法やカウンセリングではなかなか体験できない“対自的関係性”により、「何者でもない自分」を感じていただければと思います。

整心 ー それは何者でもない自分と出会う体験

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