だいぶ久しぶりの投稿になってしまいました。
今回は、自己肯定感についてお話ししたいと思います。
さまざまな場面で見聞きする「自己肯定感」という言葉。
みなさんはこの言葉をどのように理解していらっしゃるでしょうか。
自己肯定感とは「自分“で”いいんだ」という感覚
自己肯定感についてはさまざまな定義があります。
ここでは、ひとまず定義は置いておいて、その言葉をそのまま考えてみましょう。
自己肯定感をそのまま捉えると「自分を肯定する感覚」です。
では、逆に「自己肯定感がない」とはどういうことでしょうか。
それは、「自分を否定する感覚が強い」ということになります。
これをわかりやすいセリフにすると「自分なんてどうせ」というような表現になります。
何をしても、何を言われても「自分なんてどうせ」という言葉が出てきてしまう感じです。
では、「自己肯定感がある」とはどういうことか。
「自己肯定感がある」ということは「自分を肯定する感覚が強い」ということになります。
これをわかりやすいセリフにすると「自分でいいんだ」という表現になります。
「自分“が”いい」ではないです。
「自分“で”いい」です。
自己肯定感とは「あるがままの自分を肯定する感覚」
よく「自己肯定感があるとはどういうことだと思いますか?」と聞くと、「自分に自信があること」や「他よりも自分が優れていると思うこと」というような言葉が返ってきます。
それも決して間違いではありません。
しかし、それらは自己肯定感の一部です。
もしそれだけの場合は「自分“が”いい」になります。
もちろん他の人より優れているところがあるのも大事な「自分」です。
そして、それと同時に、他の人よりも劣っているところがあるのも大事な「自分」です。
自己肯定感とは、「あるがままの自分を肯定する感覚」です。
つまり、「他の人より優れているところがある。そして他の人よりも劣っているところもある。でも自分“で”いいんだ」という感覚になります。
自己肯定感があれば力が発揮できる
自己肯定感、つまり「あるがままの自分を肯定する感覚」があれば、どんな方でも力を発揮することができます。
そこでは「何をするか」は全く関係ありません。
もちろん、多くの方の目に触れ、多くの方の賞賛を受けるような事をする方もいらっしゃいます。
しかし、世の中はそういう方たちだけでは成り立ちません。
表に出る方、裏で活動する方、大勢で活動する方、1人で活動する方、さまざまな方がいて成り立っています。
もちろん個人の能力もさまざまです。
しかし、どのような活動をしてていも「自分でいいんだ」という感覚を持っていただけていれば、そこで力を発揮していただいているはずです。
そうであれば、もちろん自分のためになり、さらにそういう方は、必然的に世の中のためになってしまっています。
瞑想箱庭療法によって「あるがままの自分」に気づく
当オフィスで行っている瞑想箱庭療法はその方自身の感覚を大切にする体験です。
作成している姿も一切見ませんし、箱庭を作り終わった後に、こちらから分析や解釈も一切行いません。
そのことにより、「どんな自分でもいい」という感覚を体感していただきます。
そして、そういう体験を重ねていくことで自己肯定感を保つことにも繋がっていくのではないかと考えています。
「自分なんてどうせ」と思ってしまう方。
言葉にとらわれない世界をぜひ一度体験していただければ幸いです。
初回90分8000円
※申込票記入、インテーク面接、説明、箱庭あそびを合わせた時間です。